
はじめに
記事をご覧いただき、ありがとうございます。
AIセキュリティ合同会社の越川と申します。
私は10年以上にわたり、ウェブアプリケーション開発からサーバー構築まで幅広く経験し、現在はシステムの安定稼働、データ保護、サイバー脅威対策といった分野に注力しています。そのような経験から、現代のビジネス環境におけるデータの重要性と、それを保護する必要性を日々痛感しております。
そして、このデータ保護と脅威対策を統合的に実現する上で、今や欠かせない存在となっているものの一つが、本稿のテーマである「AWS Inspector」です。
クラウド環境におけるセキュリティ脅威は日々高度化しており、従来の手動による脆弱性スキャンでは対応が追いつかない現実があります。特にAWS環境では、EC2インスタンスやコンテナイメージ、Lambda関数など多様なリソースを統合的に管理する必要があり、セキュリティ担当者の負荷は増加の一途を辿っています。
私自身、数多くのクラウドセキュリティプロジェクトに携わる中で、手動による脆弱性管理の限界を目の当たりにしてきました。月次でのスキャン実行に費やされる膨大な工数、検出された脆弱性への対応遅延、複数ツールの運用による管理コストの増大など、多くの組織が共通して抱える課題です。
このような背景の中、AWSが提供する「AWS Inspector」は、脆弱性管理を自動化し、継続的なセキュリティ監視を実現するマネージドサービスとして、多くの企業で注目を集めています。本記事では、セキュリティエンジニアや情報システム部門の担当者が実際にAWS Inspectorを導入・運用する際に必要な知識を、技術的な詳細とともに包括的に解説いたします。
AWS Inspectorとはなにか
AWS Inspectorの基本概念
AWS Inspector(正式名称:Amazon Inspector)は、AWS環境における脆弱性評価とセキュリティ監視を自動化するフルマネージド型のセキュリティサービスです。2015年にリリースされた初代Inspector(Inspector Classic)から大幅にアップデートされたInspector 2は、2021年に発表され、現在広く利用されています。
Inspector 2では、以下のコンピューティングリソースを対象として継続的なスキャンを実行します。
- Amazon EC2インスタンス: オペレーティングシステムとアプリケーションの脆弱性を検出
- Amazon ECR(Elastic Container Registry): コンテナイメージ内の脆弱性を特定
- AWS Lambda関数: 関数コードと依存関係の脆弱性をスキャン
Inspector 2の主要機能とアーキテクチャ
Inspector 2は、従来のInspector Classicと比較して以下の点で大幅に強化されています。
継続的スキャン機能
従来の定期実行型スキャンに対し、Inspector 2では新しいリソースの追加やソフトウェアの変更を自動検知し、即座にスキャンを実行します。この機能により、脆弱性の検出から対応までのタイムラグを最小化できます。
高度な脆弱性データベース
Inspector 2は、Common Vulnerabilities and Exposures(CVE)データベースに加え、AWS独自の脅威インテリジェンスを活用した包括的な脆弱性情報を提供します。
リスクベースの優先順位付け
検出された脆弱性に対して、Inspector Scoreという独自のスコアリングシステムを適用し、環境固有のリスクレベルに応じた優先順位付けを行います。
【イメージ図】
➤ 参考文献:AWS Inspector サービス概要
-
CVE(Common Vulnerabilities and Exposures)
ソフトウェアやハードウェアの脆弱性に対して、世界中で共通して利用できる識別子(CVE番号)を付与する仕組みのことです。
これにより、脆弱性情報を共有する際の混乱を避け、迅速な対策を可能にすることが目的です。 -
Inspector Score
Amazon Inspector 2で導入された、脆弱性のリスクを評価するためのスコアです。
従来のCVSSスコアに、ネットワークの到達可能性や悪用可能性などの環境情報を加味して、より状況に即した評価を行います。
なぜAWS Inspectorが活用されるのか
従来の脆弱性管理の課題
多くの企業では、脆弱性管理において以下のような課題を抱えています。
手動オペレーションの限界
従来のセキュリティスキャンツールでは、定期的な手動実行が必要で、スキャン対象の管理や結果の分析に多大な工数を要していました。特に、数百台規模のEC2インスタンスを運用する環境では、全リソースを継続的に監視することが困難でした。
複数ツールの統合管理の複雑さ
EC2インスタンス、コンテナ、サーバーレス環境それぞれに異なるセキュリティツールを導入することで、管理コストと運用複雑性が増大していました。
DevOpsパイプラインとの統合不足
CI/CDパイプラインとセキュリティスキャンの統合が不十分で、本番デプロイ前の脆弱性検出が困難な状況が続いていました。
AWS Inspectorが解決する価値
統合的な脆弱性管理
AWS Inspectorは、EC2、ECR、Lambdaという主要なコンピューティングリソースを単一のサービスで包括的にカバーします。これにより、複数のセキュリティツールを導入・管理する必要がなくなり、運用工数を大幅に削減できます。
ゼロコンフィギュレーションでの継続監視
Inspector 2では、サービスを有効化するだけで自動的に継続スキャンが開始されます。
エージェントのインストールや設定変更は不要で、新しいリソースも自動的にスキャン対象に含まれるため、運用負荷を最小限に抑制できます。
AWS Security Hubとの統合による一元管理
AWS Security Hubとの統合により、GuardDuty、Macie、Config Rulesなど他のAWSセキュリティサービスと併せて、統一されたダッシュボードで脆弱性管理を実現できます。
-
CI/CDパイプライン
ソフトウェア開発におけるビルド、テスト、デプロイといった工程を自動化する一連の流れのことです。
継続的インテグレーション(CI)と継続的デリバリー/デプロイメント(CD)を組み合わせたもので、開発からリリースまでのサイクルを効率化し、高品質なソフトウェアを迅速に提供することを可能にします。 -
AWS Security Hub
AWS環境全体のセキュリティ状態を一元的に可視化し、管理するためのサービスです。
セキュリティに関するベストプラクティスやコンプライアンスチェックを自動化し、複数のAWSサービスからのセキュリティアラートを集約・分析することで、セキュリティ管理の効率化を支援します。
AWS Inspectorの具体的な導入ステップ
事前準備とアカウント設定
IAM権限の設定
Inspector 2を利用するには、以下のマネージドポリシーを適切なロールに付与する必要があります。
{
"Version": "2012-10-17",
"Statement": [
{
"Effect": "Allow",
"Action": [
"inspector2:*",
"ec2:DescribeInstances",
"ecr:DescribeImages",
"lambda:ListFunctions"
],
"Resource": "*"
}
]
}
AWS Organizations環境での設定
複数アカウント環境では、セキュリティアカウントをDelegated Administratorとして設定し、組織全体でInspectorを一元管理することが推奨されます。
Inspector 2の有効化手順
コンソールでの有効化
- AWS Management ConsoleでInspector 2サービスにアクセス
- 「Enable Inspector」をクリック
- スキャン対象リソースタイプ(EC2、ECR、Lambda)を選択
- 設定完了後、自動的にスキャンが開始
AWS CLIでの有効化
# Inspector 2を有効化
aws inspector2 enable \
--resource-types ECR EC2 LAMBDA \
--account-ids 123456789012 \
--region us-east-1
# 有効化状況の確認
aws inspector2 describe-organization-configuration
EC2インスタンスでの設定詳細
SSM Agentの確認
Inspector 2がEC2インスタンスをスキャンするには、Systems Manager Agent(SSM Agent)が必要です。最新のAMI(Amazon Machine Image)では標準でインストールされていますが、古いインスタンスでは手動インストールが必要な場合があります。
# Amazon Linux 2でのSSM Agent状態確認
sudo systemctl status amazon-ssm-agent
# Ubuntu/Debian系での確認
sudo systemctl status snap.amazon-ssm-agent.amazon-ssm-agent
インスタンスプロファイルの設定
EC2インスタンスには、以下のマネージドポリシーを含むインスタンスプロファイルが必要です。
AmazonSSMManagedInstanceCore
CloudWatchAgentServerPolicy
(ログ収集を行う場合)
ECRとの統合設定
リポジトリレベルでの設定
ECRリポジトリでは、プッシュ時のスキャンを有効化できます。
# ECRリポジトリでのスキャン設定
aws ecr put-image-scanning-configuration \
--repository-name my-app \
--image-scanning-configuration scanOnPush=true
CI/CDパイプラインでの活用
GitLab CI、GitHub Actions、Jenkins等のCI/CDツールと連携し、イメージプッシュ後のスキャン結果を自動取得する仕組みを構築できます。
-
Delegated Administrator
特定のシステムやサービスにおいて、本来の管理者(例えば、組織の管理アカウント)から、特定の権限や管理タスクを委譲されたアカウントのことです。
これにより、管理業務を分担したり、特定の部門や担当者に権限を委譲したりすることが可能になります。
AWS Inspectorのメリット
運用効率化とコスト削減
自動化による工数削減
従来の手動スキャンと比較して、Inspector 2では以下のような工数削減効果があります。
- スキャン実行の自動化:週40時間→0時間
- 結果分析の効率化:リスクスコアによる自動優先順位付けで50%削減
- レポート作成:テンプレート化により70%削減
従量課金による最適なコスト管理
Inspector 2は、実際にスキャンしたリソース数に応じた従量課金制を採用しており、初期投資や固定費用が不要です。
- EC2インスタンス:$1.30/月(インスタンス毎)
- ECRイメージスキャン:初回スキャン$0.09、再スキャン$0.01
- Lambda関数:$0.30/月(関数毎)
他製品との比較
● 優秀:導入・運用の観点で特に優れている
● 良好:一般的な要求水準を満たしている
● 要改善:導入・運用に課題や制約がある
セキュリティ効果とコンプライアンス対応
継続的な脆弱性検出による早期対応
Inspector 2のリアルタイムスキャンにより、新しい脆弱性情報(CVE)の公開から24時間以内に環境への影響を把握できます。これは従来の週次・月次スキャンと比較して、大幅な対応時間短縮を実現します。
規制要件への準拠支援
金融機関向けのPCI DSS、医療業界のHIPAA、政府機関向けのFedRAMPなど、各種コンプライアンス要件で求められる定期的な脆弱性スキャンと文書化要求を自動化で満たすことができます。
活用方法
シナリオ1.大手金融機関における統合セキュリティ管理
導入前の課題
某大手地方銀行では、約300台のEC2インスタンスと50個のコンテナイメージを運用しており、月次での手動脆弱性スキャンに以下の課題を抱えていました。
- 手動スキャンによる工数負担:月間40時間のスキャン実行と結果分析
- 検出から対応までのタイムラグ:平均14日間のレスポンスタイム
- コンプライアンス監査での文書準備:四半期毎に80時間の資料作成工数
- 複数ツールの運用コスト:年間$50,000のライセンス費用
導入内容
2023年第2四半期に以下の構成でAWS Inspector 2を導入しました。
# 全アカウントでInspector 2を有効化
aws inspector2 enable --resource-types ECR EC2 LAMBDA --account-ids 111111111111 222222222222
# Security Hubとの統合
aws securityhub enable-security-hub --enable-default-standards
# EventBridgeによる自動通知設定
aws events put-rule --name inspector-findings --event-pattern file://inspector-event-pattern.json
EventBridge統合により、Critical/Highレベルの脆弱性検出時には自動的にJIRAチケットを起票し、担当チームに通知される仕組みを構築しました。
導入後の効果
6ヶ月間の運用により以下の改善効果を確認できました。
- 運用工数の削減:月間スキャン工数が40時間→5時間(87.5%削減)
- 対応速度の向上:平均レスポンスタイムが14日→3日(78%短縮)
- コスト最適化:年間運用コストを$50,000→$15,600(69%削減)
- コンプライアンス効率化:監査資料準備が80時間→12時間(85%削減)
特に、PCI DSS要件11.2「四半期毎の内部脆弱性スキャン」について、Inspector 2の継続的スキャン結果を監査証跡として活用することで、監査対応を大幅に効率化できました。
シナリオ2.DevSecOps統合による開発
プロセス改善
導入前の課題
某テクノロジー企業(従業員数500名)では、マイクロサービスアーキテクチャの採用により100を超えるコンテナイメージを管理していましたが、以下の課題が顕在化していました。
- 開発チーム毎の脆弱性対応のばらつき:チームによって対応レベルが異なる
- 本番デプロイ後の脆弱性発見:リリース後に Critical レベルの脆弱性が発見されるケース
- セキュリティレビューのボトルネック:手動チェックによる開発速度の低下
- コンテナイメージの棚卸し困難:どのイメージが本番で使用中か把握困難
導入内容
2024年第1四半期に、CI/CDパイプラインとAWS Inspector 2を統合したDevSecOpsプロセスを構築しました。
# GitLab CI設定例
security_scan:
stage: security
script:
- |
# ECRにイメージをプッシュ
docker push ${ECR_REGISTRY}/${IMAGE_NAME}:${CI_COMMIT_SHA}
# Inspector 2スキャン結果を取得
aws inspector2 list-findings \
--filter-criteria '{"ecrImageHash":[{"comparison":"EQUALS","value":"'${IMAGE_HASH}'"}]}'
# Critical/Highレベルの脆弱性があれば失敗
- python check_vulnerabilities.py --threshold=HIGH
rules:
- if: $CI_COMMIT_BRANCH == "main"
導入後の効果
12ヶ月間の運用による定量的な改善効果を得られました。
- セキュリティインシデント削減: 本番環境での脆弱性起因インシデントが月平均3件→0.2件(93%削減)
- 開発効率の向上:セキュリティレビューのリードタイムが72時間→6時間(92%短縮)
- 品質の標準化:全チーム共通のセキュリティ基準適用により品質のばらつきを解消
- 可視性の向上:Security Hubダッシュボードによりセキュリティ状況の一元可視化を実現
特に注目すべきは、開発者の「セキュリティに対する意識変化」です。
自動化されたフィードバックループにより、開発者が日常的にセキュリティを考慮するようになり、セキュアコーディングの実践が定着しました。
まとめ
AWS Inspector 2は、従来の脆弱性管理における多くの課題を解決し、クラウドネイティブ環境に最適化されたセキュリティソリューションを提供します。特に以下の点で、従来製品と一線を画す価値を提供しています。
技術的優位性
継続的スキャンによるリアルタイム脆弱性検出、AWSサービスとのネイティブ統合、ゼロコンフィギュレーションでの運用開始が可能です。従量課金制により、スモールスタートからエンタープライズ規模まで、柔軟な導入が実現できます。
運用効率化の実現
手動オペレーションの自動化により、セキュリティチームは戦略的な業務に集中できるようになります。EventBridgeとの統合による自動化ワークフローの構築で、検出から対応までのプロセス全体を効率化できます。
DevSecOpsの推進
CI/CDパイプラインとの統合により、開発プロセスの早期段階でセキュリティを組み込むShift-Leftの実践が容易になります。これにより、セキュリティ品質の向上と開発速度の両立が可能です。
セキュリティ要件が厳格化する現在の環境において、AWS Inspector 2は単なるツールを超えて、組織のセキュリティ文化を変革する触媒としての役割を果たします。継続的なセキュリティ監視を基盤として、より堅牢で信頼性の高いクラウドインフラストラクチャの構築を支援するソリューションとして、ぜひ導入をご検討ください。
-
Shift-Left
ソフトウェア開発やシステム開発において、テストやセキュリティ対策などの工程を、通常よりも早い段階、つまり開発の上流工程で実施することを指す言葉です。
開発の早い段階で問題を検出し、修正することで、後工程での手戻りやコスト増を抑制する効果が期待できます。
参考文献一覧
- AWS Inspector – Amazon Web Services:
https://aws.amazon.com/jp/inspector/
- Amazon Inspector User Guide – AWS Documentation:
https://docs.aws.amazon.com/inspector/
- AWS Security Hub – 統合セキュリティ管理:
https://aws.amazon.com/jp/security-hub/
- AWS Well-Architected Framework – Security Pillar:
https://docs.aws.amazon.com/wellarchitected/latest/security-pillar/
- NIST Cybersecurity Framework:
https://www.nist.gov/cyberframework
- CIS Benchmarks – Center for Internet Security:
https://www.cisecurity.org/cis-benchmarks/