.webp)
はじめに
記事をご覧いただき、ありがとうございます。
AIセキュリティ合同会社の越川と申します。
私は10年以上にわたり、ウェブアプリケーション開発からサーバー構築まで幅広く経験し、現在はシステムの安定稼働、データ保護、サイバー脅威対策といった分野に注力しています。そのような経験から、現代のビジネス環境におけるデータの重要性と、それを保護する必要性を日々痛感しております。
そして、このデータ保護と脅威対策を統合的に実現する上で、今や欠かせない存在となっているものの一つが、本稿のテーマである「NDR(Network Detection and Response)」です。
現代企業におけるサイバーセキュリティの脅威は、従来の境界防御を突破する高度化・巧妙化した攻撃手法へと進化しています。2024年には日本企業の約8割がサイバー攻撃を経験し、その被害総額は過去最高を記録しました。
特に問題となっているのは、従来のファイアウォールやアンチウイルスソフトでは検知困難な「内部侵入後の横展開攻撃」や「未知のマルウェア」による被害です。こうした新たな脅威に対抗するため、ネットワーク全体を常時監視し、異常な通信パターンをリアルタイムで検知するNDRが注目されています。
本記事では、セキュリティエンジニアや情報システム部門の担当者が製品導入を検討する際に必要な、NDRの技術的詳細から具体的な導入プロセス、他ソリューションとの比較まで包括的に解説します。
NDRとはなにか
NDRの基本定義
NDR(Network Detection and Response)は、ネットワークトラフィックを継続的に監視・分析し、悪意のある活動や異常な通信パターンを検知して迅速な対応を支援するセキュリティソリューションです。
NDRの技術的特徴
NDRは以下の技術要素で構成されています。
Deep Packet Inspection(DPI)
パケットのヘッダー情報だけでなく、ペイロードまで詳細に解析する技術です。
これにより、暗号化された通信内でも異常なパターンを検知できます。
機械学習ベースの異常検知
過去の正常な通信パターンを学習し、統計的に異常な挙動を自動検知します。
シグネチャベースでは検知困難なゼロデイ攻撃にも対応可能です。
ネットワークフォレンジック
インシデント発生時に過去のトラフィックデータを遡って調査し、攻撃の全容解明や影響範囲の特定を行います。
【イメージ図】
-
ネットワークトラフィック
ネットワーク上を流れるデータの量のことです。
具体的には、Webサイトの閲覧、ファイルのダウンロード、メールの送受信など、ネットワークを通じて行われるあらゆる活動によって発生するデータ通信の総量を指します。 -
ペイロード
IT分野では、データ通信における制御情報などを除いたデータ本体を指します。
また、サイバーセキュリティの文脈では、マルウェアが実行する有害な動作を指すこともあります。 -
シグネチャ
IT分野では、様々な意味で使われます。
例えば、メールの末尾に付加される署名、プログラミングにおけるメソッドの定義、マルウェアの検知に用いられるパターン、WAFにおける不正アクセスの検知ルールなどがあります。 -
ゼロデイ攻撃
ソフトウェアやシステムの脆弱性が発見された直後に、開発元がその脆弱性に対応する修正プログラム(パッチ)を公開する前に、攻撃者がその脆弱性を悪用して行うサイバー攻撃のことです。
「ゼロデイ」とは、修正パッチが提供される前の「0日目」を意味し、攻撃者はこの隙を突いて攻撃を仕掛けます。
なぜNDRが活用されるのか
従来セキュリティ対策の限界
境界防御の脆弱性
従来のファイアウォールやIPS(Intrusion Prevention System)は、ネットワークの入口での防御に特化しているため、一度侵入を許してしまうと内部での横展開攻撃を検知できません。
エンドポイント対策の死角
EDR(Endpoint Detection and Response)は、エージェントがインストールされた端末のみが監視対象となるため、IoTデバイスやレガシーシステムなど、エージェント導入が困難な機器は監視対象外となってしまいます。
現代的脅威への対応ニーズ
サプライチェーン攻撃の増加
2023年のSolarWinds事件に代表されるように、信頼されたソフトウェアベンダーを経由した攻撃が増加しています。これらの攻撃は正規の通信に偽装されるため、従来の検知手法では発見が困難です。
内部脅威の深刻化
従業員による意図的な情報漏洩や、アカウント乗っ取りによる内部からの攻撃に対しては、ネットワークレベルでの行動分析が不可欠です。NDRは通常とは異なるデータアクセスパターンや通信先を検知することで、これらの脅威に対応します。
-
横展開攻撃(ラテラルムーブメント)
サイバー攻撃者が最初に侵入したシステムからネットワーク内を横方向に移動し、侵害範囲を拡大していく攻撃手法のことです。
攻撃者は、侵入したシステムから他のシステムやアカウントにアクセスし、より重要な情報やシステムを狙うことで、被害を拡大させようとします。 -
レガシーシステム
古い技術やプラットフォームに依存した情報システムのことです。
主に、メインフレームや旧型のオフィスコンピューターを使用したシステムが該当します。
これらのシステムは、業務に深く組み込まれ、長年使用されてきたため、改修や新しい技術との連携が難しいという課題を抱えています。
NDRの具体的な導入ステップ
1. 要件定義・現状分析
ネットワーク環境の把握
導入前に以下の項目を詳細に調査します。
- ネットワーク帯域幅とトラフィック量(平均・ピーク時)
- 監視対象セグメントの特定
- 既存セキュリティツールとの連携要件
- コンプライアンス要件(PCI DSS、GDPR等)
脅威モデリング
MITRE ATT&CK Frameworkを活用して、自社が直面する可能性の高い攻撃手法を特定し、検知すべき通信パターンを定義します。
2. アーキテクチャ設計・構築
トラフィック収集方式の選定
■ ミラーポート方式
- 既存スイッチのポートミラーリング機能を使用
- 導入コストは低いが、スイッチ性能への影響あり
■ ネットワークTAP方式
- 専用のハードウェアTAPを物理的に設置
- 高い信頼性だが初期投資が必要
■ 仮想TAP方式
- VMware vSphereやHyper-V環境での仮想スイッチから収集
- クラウド環境に適している
データ保存・分析基盤の構築
トラフィックデータの保存には、検索性能と圧縮効率を両立するElasticsearchやSplunkなどのビッグデータ基盤を活用します。一般的に、フルパケットデータで7-30日、メタデータで90-365日の保存期間を設定します。
3. 機械学習モデルのチューニング
ベースライン学習期間
導入初期の2-4週間は学習期間として設定し、正常な通信パターンのベースラインを構築します。この期間中は誤検知が多発するため、段階的にアラート閾値を調整していきます。
異常検知アルゴリズムの最適化
業界特有の通信パターンに応じて、検知アルゴリズムをカスタマイズします。
例えば、製造業では制御システム(SCADA/PLC)の定期通信パターンを正常として学習させる必要があります。
4. 運用体制の整備
SOC(Security Operations Center)との連携
NDRからのアラートをSOCの既存ワークフローに統合し、インシデント対応手順を標準化します。平均的に、Level 1アナリストが初期トリアージを実施し、高リスクアラートはLevel 2/3エスカレーションする体制を構築します。
-
MITRE ATT&CK Framework(マイター・アタック フレームワーク)
Adversarial Tactics, Techniques & Common Knowledge の略で、直訳すると「敵対的な戦術、技術、および共通の知識」となります。
サイバー攻撃者が組織のシステムを侵害するために使用する戦術、技術、手順(TTP)を体系的にまとめた知識ベースのことです。
MITRE ATT&CKが提供するこのフレームワークは、攻撃者の行動を理解し、効果的な防御策を講じるためのツールとして、サイバーセキュリティの専門家に広く利用されています。
NDRのメリット
NDRの導入により、従来のセキュリティソリューションでは実現困難だった包括的なネットワーク監視と迅速な脅威対応が可能になります。
主要メリット
リアルタイム脅威検知
ネットワークトラフィックをリアルタイムで分析することで、攻撃の初期段階での検知が可能です。従来のログベース分析では数時間から数日要していた検知時間を、数分から数秒に短縮できます。
未知脅威への対応力
機械学習ベースの異常検知により、シグネチャが存在しない新種のマルウェアやゼロデイ攻撃も検知可能です。これは従来のルールベース検知では実現困難な能力です。
ネットワーク全体の可視化
エージェントレスでの監視により、IoTデバイスやレガシーシステムを含む全ての通信を可視化できます。これにより、従来は「見えない資産」となっていた機器のセキュリティ状況も把握可能になります。
他製品との比較
活用事例
実際の企業におけるNDR導入事例を通じて、その効果を具体的に確認しましょう。
事例1:製造業A社(従業員数5,000名)導入前の課題
グローバルに展開する製造拠点で、従来の境界防御(ファイアウォール・アンチウイルス)では、IoTデバイスやレガシーな制御システムに対する脅威を十分に検知できない状況でした。特に、夜間や休日に発生する異常通信の検知が困難で、実際に内部システムへの不正アクセス痕跡が事後調査で発見される事態が発生していました。
導入内容
製造業向けに特化したNDRソリューションを導入し、工場ネットワークの全通信を24時間365日監視する体制を構築しました。具体的には、製造実行システム(MES)と制御系ネットワーク(OT)の境界に監視センサーを配置し、機械学習ベースの異常検知エンジンで通常とは異なる通信パターンを検知する仕組みを実装しました。
導入後の効果
導入から6ヶ月で、従来は発見できなかった内部脅威を3件検知し、被害を未然に防止しました。また、IoTデバイスの異常通信を98%の精度で検知可能となり、セキュリティインシデントの平均検知時間を72時間から15分に短縮することに成功しました。
事例2:金融機関B社の活用方法
規制対応とコンプライアンス強化
金融業界では、金融庁のサイバーセキュリティガイドラインやPCI DSSなどの厳格な規制への対応が求められます。NDRは、これらの規制要件で求められる「継続的な監視」「異常検知」「インシデント対応」を技術的に実現する手段として活用されています。
リアルタイム不正検知システムとの連携
既存の不正検知システム(FDS: Fraud Detection System)とNDRを連携させることで、ネットワークレベルでの異常と取引レベルでの異常を相関分析し、より精度の高い不正検知を実現しています。例えば、通常とは異なる地理的位置からのアクセスとネットワーク通信パターンの変化を組み合わせて検知精度を向上させています。
➤ 参考文献
まとめ
NDRは、現代のサイバーセキュリティ課題に対する根本的なソリューションとして、その重要性が急速に高まっています。従来の境界防御では対応困難な内部脅威や未知の攻撃手法に対して、ネットワーク全体の可視化と機械学習ベースの異常検知により、包括的な保護を実現します。
導入においては、自社のネットワーク環境とセキュリティ要件を正確に把握し、段階的な実装アプローチを取ることが成功のカギとなります。特に、機械学習モデルのチューニング期間と運用体制の整備に十分な準備期間を確保することが重要です。
今後のサイバーセキュリティ戦略において、NDRはゼロトラストアーキテクチャやXDR(Extended Detection and Response)との統合により、さらなる進化を遂げることが予想されます。セキュリティエンジニアや情報システム部門の担当者は、この技術トレンドを理解し、自社のセキュリティ成熟度に応じた導入計画を策定することが求められています。
NDRの導入は、単なるツール導入ではなく、組織のセキュリティ文化の変革を伴う戦略的投資です。適切な計画と実装により、将来の脅威に対する強固な防御基盤を構築できるでしょう。
参考文献
- Gartner, “Market Guide for Network Detection and Response,” 2024:
https://www.gartner.com/en/documents/5531495
- MITRE ATT&CK Framework:
https://attack.mitre.org/
- CyberTrust 製造業導入事例:
https://www.cybertrust.co.jp/case/manufacturing/
- 三菱電機インフォメーションネットワーク マネージドNDRサービス:
https://www.mind.co.jp/useful/businessreport/004
- NIST Cybersecurity Framework:
https://www.nist.gov/cyberframework